あるふぉの落書き帳

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きっぷる

【不死鳥】651系0番台 常磐線普通列車乗車記【回顧録】

6年前に常磐線が再び全ての区間で営業運転を行うようになりました。その前まで、平成29年から令和2年までの間ですが、常磐線いわき以北の一部普通列車では651系0代4両が用いられていました。

 

その様子です。4両の特急スーパーひたちに見えるかどうかはさておき、いわき~竜田、後にいわき~富岡の一部ローカルに充当されていました。もちろん同区間ではE531系のローカルもありましたけど。

勝田所属のK201編成・K205編成が用いられていて、勝田からいわきは回送だったと記憶しております(でしょうね)。今回はそんな651系ローカルに乗った時の乗車記を簡易編ですが記事に残しておきたいと思います。令和3年に書こうと思って下書きに放置していただけともいう 

 

なお皆さんもご存じの通り、651系の一部編成は交流機器を使用停止した上で高崎線方面用の1000代として活躍していました。自分はこちらも乗ったことあるんですけど、ぶっちゃけ内装はそこまで変わらないので、そちらの回顧録も兼ねていこうかなと思わないこともないです。

余談ですが、令和4年には実質的な直流専用車という解釈もできよう1000代が交流区間の勝田車両センターに里帰り、EF81に配給輸送をさせたりE531系から電源をもらったりして撮影会をやるという、水戸支社もノリノリの撮影会が行われました。同支社はE653系よろしくE657系も塗替え人形として遊んでくださるぐらいにはイケイケで、正直ちょっと羨ましい気もします。何かこないだはE501系でも遊んでたし・・・(褒


横引きのカーテンに平成初期を感じてエモくなります(平成11年生まれの世紀末男より)。まあ651系自体は昭和末期から作ってましたけどね。昭和末期にエモさを感じる世紀末野郎でした。いわき~富岡の塩害が激しそうな区間も含めて長年常磐線で活躍した651系も令和5年に引退(1000代)してしまいましたが、今思えば本当に長い間よく頑張ってくれたのかな~と思いました。昭和末期の車両と思えばって意味で。

ちなみに0代自体は令和2年3月改正を前に運用を離脱し、残っていた2編成も郡山に散ってしまいました。また0代基本編成最後の1本だったK103編成に関しては、全線復旧を待たず令和元年に廃車となってしまいました。あの編成はまだ検査期限あったんじゃなかったっけ?

 

車内案内表示器はこんな感じ。デジタル時計や座席種別表示等々に平成初期を感じてエモくなります。だからこれ昭和末期の車両なんだってばよ。

恥ずかしながらスーパーひたちでは乗ることができないままでしたが、なんかこのスタイルの案内表示器もなかなか見なくなったというのを差し引いても、懐かしさを覚えます。

 

ドアはこんな感じ。ごみ箱って壁に埋め込むタイプじゃなかったんですな。縦に長い窓が特徴的ですが、ちょっと汚れのせいかせっかくの海が見えなかったのは残念でした。まあ窓から見たんで別にいいんですけど。

 

また、専用の方向幕も用意されていました。スーパーひたち時代には流石に普通いわき行のそれはなかったんじゃないかと思うので、これも恐らくはこの運用のために用意したのでしょう。雨だれは残念でしたけど。

 

上り終着のいわきでは後輩となるE657系の特急ひたち号と接続していた他、朝のひたち3号(当時)いわき行に乗ってもやはり651系ローカルへの接続があったんだそうです。なんかエモいですね(語彙力)。

 

その他、651系ローカルは基本的に座席を向かい合わせにした状態、いわばまさにクロスシート状態での運行がデフォルトになっていました。まあ自分を含めて、大半の乗客が向きを変えて普通のリクライニングシートとして使っていましたけどね。そりゃ赤の他人のツラなんて見ながら移動しなくていいならその方がいいでしょうからね。

残念なことにその車内の写真が出てこない(修理中の本務機PCが戻ってきたら探して追加します)ですが、0代・1000代共に設備にこれといった差異はなかったはずです。

その他、自分が令和2年3月に乗車した際(1枚目の画像を撮った帰りですね)は終着のいわき到着前にひたちチャイムが流れました。末期はローカル用にほぼ徹していた両編成も、最後までチャイムは生きていた模様です。

 

なお、本館(ひがなり雑記帳)では来年令和9年以降、この時も含めて令和2~3年の過去画記事を改めて公開する予定です。併せてお楽しみいただければ幸いです。