もはやうちの冷凍庫に眠る値引きの肉の冷凍すらクリビツテンギョーする鮮度落ちネタですが、元号が平成から令和に変わる数か月前に大宮駅から大宮総合車両センターをチラ見した際に一眼で撮った写真をレポートしておきます。お前さっき車両基地の方チラチラ見てただろ。
言い訳をするつもりはないですが、この当時の当ブログは放置状態でしたし、今の中央線・総武線にないメンツだからこそ…というオタクのアレがない訳ではないです。でもそれは言い訳でしかないんですよね。いや本当に。お前さあるふぉさ、ン年前にトッ…撮り終わった時にさ、ちゃんと記事にしてなかったよな?
何はともあれ、本日もよろしくお願いいたします。
タイトルにある通り、今回はJR東日本大宮アンチエイジングクリニック、あ間違った、同社大宮総合車両センターを平成31(2019)年1月に同社大宮駅から撮った写真に過ぎません。

この頃は中央快速電車のグリーン車云々もあってか、予備車云々とやたらTwitter等で話題になっていたのを覚えております。こちらはマト82編成からトタ82編成に改造中の写真。改造といっても帯の張替えとROM変更ぐらいだとは思いますけど。思えばあっという間にいなくなってしまいましたが、当時中央線沿線民(快速線とも緩行線とも言ってない)だった私は時折ながら楽しませてもらったものでした。

思い出話になってしまいますが、一度ダイヤ乱れで大月行に充当された時は甲府からスクランブル発進しようか迷ったほどでした。あったなあそんなこと。結局豊田で車交でしたけどねw

そんな209系2100代が青梅線に代走で入ったのはもう少し後のことなんですけど、こちらでまだ記事にしていないということに今気が付きました。あのさぁ…(呆)
気が向いたら記事にするかもしれません。あと1年早く気が付いておくべきだったと思うよ。
次。

当時E231系0代の転用が進んでいて、大宮で改造をした車両のうち余剰になったサハはこのように放置されていました。既に大宮では解体をしなくなってン年でしたので、これら余剰サハの大半はE231系0代B31編成を伴車としてEF64の牽引で長野にドナドナされていました。
※B31編成の転用後は伴車がなく、サハ単独で配給。寒い中社員の方が添乗されていて大変そうでした。
もういっちょ。というかこれが本命だったんですよね(また別の記事にします)

EF81形136号機牽引の配給輸送がありました。平成28年3月の北海道新幹線開業に際して特急白鳥が廃止されましたが、それから余剰になっていた485系3000代青森車*1のうち、最後の1本となっていたA6編成の廃車回送でした。

青森県生まれの私にとっては当然馴染みのある車両でしたし、E751系つがるばかりだった小学生の私(特急が八戸発着だった時代)はいつかあっちにも乗ってみたい!と純粋無垢な気持ちで見ていた*2のが懐かしいものでした。
初めて485系3000代に乗ったのは平成22年8月6日のつがる16号。同列車は所定E751系ながらも485系での代走を前提としていたダイヤでした。それはいいのですが、日付は8月6日。僕と母と妹と妹が乗った5号車だけエアコンが壊れていて、八戸まで蒸し風呂でした。

書ききれない思い出がありますが、そんな485系3000代ともこれでお別れ。思わず涙がで、出ますよ…ピチョンポトン…(明鏡止水)状態でした。まあ3000代の生き残りは485系JTのジパングだった訳ですけど、結局あれもいけないままでしたし…ちぇっ。
あ、一応書いておきますが485系の行先は大宮ではなく郡山でした。先述の通り、既に大宮では解体ができませんでしたからね。なお485系3000代のうち一部編成は秋田でも解体されています。自分が知る限りの話になりますが、長野送りになったのは特急いなほ・北越等で活躍した新潟車の一部でした。
この時の私は大学1年生。甲府市内の大学に通っていてこ↑こ↓から5限目に向かいました。1限目は自主休講しましたけどね。寂しさの涙をぬぐいながら改札に向かうと、今度は甲府までのきっぷがなくて別の涙がで、出そうになりました…のも懐かしい思い出です。
これ以来大宮駅の在来線ホームに降りていないということはないと思いますが、今見に行ったら今回出てきた車両は間違いなくいないとはいえ、また違うものが見られることでしょう。大回りでもしつつ、また見に行くことができればと思います。
ところで、大宮といえば鉄道の街と言われることが多いのは皆さんもご存じかと思います。大宮は埼玉県、一方で私が育ったのは千葉県。そう、翔んで埼玉です(何がそうなんだよ)。
もしあの決戦において埼玉県人軍に「我々には大宮総合クリニックがある!YES!」と言われた場合、千葉県人の私は泣きながら敗走するしかないようです。いや誰が見るんだそんな映画・・・