ついにこの日が来てしまった…と言いたいところですが、あんまり実感がありません。

昨日、E217系として最後まで残っていた2編成のY-101編成とY-102編成がEF64形1031号機牽引で長野総合車両センターへ配給輸送されました。正直昼だと思わなかったので急遽撮りに行った?何のことでしょうか。

前回のY-42編成は仕事の都合で行けなかったのでかなり久しぶりのE217系廃車回送参戦となりますが、なんかどういう訳か実感がわかず、何とコメントしていいかわかりません。

最初の写真は塩尻での撮影ですが、通過後に雨が降ってきたのが涙雨みたいで切なく感じました。にしても初めて明科で撮った時は暗かったのに、日が長くなったものですなあ。217なんも関係ないですけどね、それ。

またどっかしらで見られる気もしつつ、千葉県人の私が時折総武快速線を利用する際もE235系1000代しか来なくなって久しい訳ですが、未だにE217系がいなくなることを信じられないのはそれだけ私にとっての総武快速がE217系だから…なんでしょうか。

思うことは多々ありますが、まずは長い間お疲れさまでした。
私事ですが、千葉県佐倉市の中でも特に奥地の方で育った身として、E217系は東京や横浜といった都会に行ける電車でした。映画「ビリギャル」の主人公・工藤さやかのセリフではありませんが、京成沿線育ちの私が言うことかはわからないと思いつつも、あの電車に乗ったら違う世界に行ける。いつもそう思って乗っていました。
東京で降りて新幹線に乗換えたり、東京に遊びに行ったり、横浜の祖父の家に行ったり、それ以外でも、ある意味では特別な時にばかり乗っていた存在だったように感じます。

思えばまだ私が大学3年生だった令和3年1月、Y-44編成が最初の廃車対象として配給されていった時にとても寂しく思ったことを今でも覚えています。まだまだE217系はいるから、そう思っていたはずが、もういなくなってしまった訳ですから。
甲府市に進学するにあたり千葉県を離れ送り出してもらう際に乗ったE217系を進学先の甲府市で見送るのがこんなに寂しいと思わなかったものでした。そしてそれは最後の2編成を送り出した今も同じ気持ちです。

未だにお別れの実感はなく、最後の1両が解体されたとしてもそれを信じることはできなさそうです。でも思えば事故廃車等の不幸な廃車もなく全ての車両が最後までその任務を全うし、しかもあれだけの数がいた形式でそうなったというのはすごいことだと思うのも悪くはないでしょう。
海外譲渡の話がトケたのは残念ですが、下手に海外に売り飛ばされて酷使された挙句に朽ち果てていくよりはよかった。そう思いたい自分もいます。
千葉県に育った私からしたら欠かせない存在だった電車の1形式であることは間違いないことです。本当にお世話になりました。
もうこうしてE217系の新しい写真で記事を書くこともなければ写真を増やすこともなく、こうして廃車回送を追いかけることもないと思うと寂しい限りです。もっとも、その実感がない訳ではありますが。