あるふぉの落書き帳

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きっぷる

平成26年1月13日 E3系0番台臨時「こまち85号」乗車記と「ありがとうラッピング」 (乗車区間:東京→上野)

この人、書くネタないんだなあ…。

 

平成26年1月13日、E3系0代のこまち運用もあと少しで終わろうとしていた時でしたが、R21編成が臨時のこまち85号に充当されていました。またこまち号としての定期運用終了を控えて、ありがとうラッピングもしていましたので、JR東の新幹線の歴史の一コマとして11年後の今更ながら記事にさせていただきます。

臨時こまち R21編成

はろー。E6系スーパーこまちとしてデビューしたものの、あれよあれよと爆速で置換えが進行し、この時点ではだいぶR編成の運用も減っていた記憶があります。そのような中、恐らくは三連休だったので多客のため運転されていたものかと思われます。

 

ありがとうラッピングです。こまちのロゴ自体は秋田新幹線での運用終了後に剥がされていて、東北新幹線増結車両としての余生を過ごしていた最後の5~6年は特にロゴのない状態での運転でしたので、これも何だか懐かしくて仕方ありません。こうして見ると、写真の質には不満こそ残りつつも撮っておくことに意義があるんだなと改めて感じました。当時中学生だったのか~年取ったなあ。

 

さて、惜別乗車も兼ねていたので乗っていきます。貯金していた二千円札を引っ張り出して窓口に行き、立席特急券は満席でないと出せないとのことで、では上野までの指定席を購入。窓口の駅員さんには「え、上野ですか?大宮ではなく?間違ってませんか?」と聞かれたのを今でも覚えています。駅員さんのご反応が正しいと思いますよ。その節はお手数をおかけいたしました。ちなみに東京→上野での乗車はこの10年後の3月にもやっているので、私が何も成長していないことがわかります。

さ、そんな訳で5分程度の効力しかない指定席券でE3系こまち号に乗っていきます。こちらは茶色系のモケットの車両で、最初から指定席用に製造された車両でのものです。15号車と16号車は青系で若干シートピッチも狭くなっていたはずですが、乗ることは叶わないままE3系R編成が引退してしまいました。

 

カーテンはこんな感じ。Theこまちって感じでいいなと思います(語彙力

 

はい、上野で降りました。隣に銀のつばさもいるのがいいですね。県知事の鶴の一声で色が変わってしまったのは少々残念です。いやまあ見慣れたらって話ではあるんだけどね。これはそんな県知事のお気持ち表明で塗装が変わる前の写真です。E3系R編成には一切の保存車もなく1000代に編入されたグループも既に全車解体されていますので、既に見ることのできない車内ではありますが、皆さんがE3系R編成、そして初代秋田新幹線「こまち」を思い出したり当時を知らない方にも知っていただけたり、そういうトリガーになっていたら一人の新幹線ファンとしてそれ以上のことはありません。

 

 

R21編成自体は令和2年10月まで活躍。既にこまちロゴもないただの増結車両でした。最後にE2系と連結して編成JRが実現したのは平成28年のことだったでしょうか。

コロナ禍での乗客減により運用を離脱、そのまま本線に帰ってくることも無くR22編成と共に利府に散っていきました。結局需要は戻っていますし、余裕を持った座席数の提供という意味ではソーシャルディスタンス(死語)の確保にも繋がるので、そういう意味では残念な最期にも感じます。もっとも、こまち運用終了後に長らく放置され、予備車としての活躍もなく解体されてしまったR20編成やR23以降4編成のうち1000代への改造から漏れて余剰廃車になった車両よりは活躍の機会もあった訳ではあり、何がよかったのかはわかりませんが。

 

もしR21編成とR22編成が生きていた場合、またR20編成も予備車として生きていた場合、E3系2000代と連結する運用が消滅したE2系1000代後期車の増結車としての活用法があり、最後の最後の花道で編成JRが実現して有終の美を飾っていたのではないかなあと思ってしまう自分がいます。まあコンセントない訳だけどさ。

ただしこれはR編成が2編成しかいないことから恐らくそのような活用は無理でしょう。晩年も検査時にE6系で代走していた以上、営業運転で編成JZが実現できるかは不明ですし。とはいえE3系増結運用を1運用としていたら…うーん無理かぁ。何かいい案があったらコメント欄でご教示いただけたら嬉しいです。